東京都・宿泊療養体験記2022夏

2022年7月下旬 新型コロナ陽性になりました

宿泊療養中の生活

『宿泊療養までの道のり』
『持ち物について』
 は、↑のタイトルをクリック。

 さて、実際の宿泊療養について時系列に沿って書いていく。といっても1日目以外は特に代わり映えしない日々なのだが。
 ちなみに筆者の療養先は23区内、どちらかというと西側エリアにあるホテルだった。どういう振り分け方かは不明だが、東京郊外在住なので帰りのことを考えると西側エリアなのはありがたかった。



○療養1日目(発症5日目)
 前日に「9時から11時の間に送迎車が自宅前に行く。詳しくは当日、ドライバーから直接連絡する」との予告を受けていた。そのため、前日のうちに冷蔵品以外は全部準備を終え、玄関にスタンバイさせておく。
 朝、相変わらず寝汗はかいているが、咳による肋骨の痛みはだいぶよくなっていた。発熱もない。

 朝9時に「10時15分過ぎに到着予定」との電話が入り、牛乳やゼリー等の冷蔵品を保冷剤ごとリュックサックに詰める。機内持ち込みサイズのキャリーと無印のリュック、持っていくのはこの2つだ。
 9時50分、「予定より早く到着した」との連絡を受け外に出ると、7~8人乗りくらいの大きな車が門扉の前に停まっていた。ビニールで厳重に仕切られた運転席にドライバーさん、後部座席左側に若い男性。足元にキャリーケースを置いて男性の横に乗り込むと、誰もが無言のまま送迎車は発進した。

 自分の後は誰も乗ってこず、車は途中で高速道路を使いつつ数十分でホテルの正面玄関前に。警備員さん達が複数いてものものしい。
 降りていいのかどうなのか迷ったが、とにかく誰も喋らないのでそのまま待つことに。自分達のあとにもう1台似たような車が来たが、やっぱりそちらも誰も降りない。
 しばらく待っていると、原色のナイロンベストを着た係員らしき人がバインダーを抱えてやってきてドライバーさんとなにやら話し合い、やっとホテル内に入れることになった。

 ホテルの1階受付でカードキーつきの茶封筒を受けとり、血圧測定を経て封筒に書かれた部屋へと入る。おそらく清掃等を担当しているのだろう、全身防護服姿の人が廊下を歩いていた。

 部屋に入るとすぐに内線がかかってきて、茶封筒の中身や療養中の注意事項などについて説明を受ける。まずやるべきことはWeb問診アプリで現在の状況を申告すること、それから1日2回健康状態を入力する『LAVITA』というアプリに測定した体温や酸素飽和度を入力すること。意外と慌ただしい。
 LAVITAの入力中に今度は看護師さんから内線がかかってきた。問診アプリに入力した内容についての詳細な聞き取りが主体。「最後に37.5℃以上が出たのはいつか」をかなり細かく聞かれたので、マメに計って記録をつけておくのをおすすめする。自分はうろ覚えだったので結構困った。
「水分をたくさん取ってほしいので、次のご飯の時に水やお茶のペットボトルを何本か部屋に持ち帰って」と言われる。また、持参した処方薬や市販薬についてのアドバイスも。熱が下がっているなら解熱剤は飲まずに経過観察を、消炎剤や咳止めは積極的に活用してほしい、等々。

 1時間もたたずに12時となり最初の配給、昼食の時間になった。記念すべき?最初の食事は『鶏の照り焼き弁当』、結構ガッツリめだ。

 これはこの後もずっとそうだったのだが、使用可能なエレベーターが少ないので配給開始直後は上層階の人だけで満員になり、中層階は何台も見送ることになる。他の施設でもこれは同じだったそう。結局、10~15分くらい時間をずらすことで解決した。

 16時に2度めのLAVITA入力時間、18時に夕食時間が来る。それぞれ、30分前(LAVITAは10分前)と開始時間に全館放送が入る。

 夕食は『鯖のごま醤油焼き弁当』。昼とはお弁当の納入業者が違うようだ。お弁当は冷めているので、数台ある電子レンジに毎回行列ができる。
 ゴミ捨てやゴミ袋含むアメニティ配布、水やお茶の配布も1日3回の食事時間にだけ可能となる。と、いうかその時間以外は室外に出られない。ちなみに差し入れや事務局に依頼した品を受け取れるのは原則として夕飯時間のみで、事務室前に部屋番号が入ったビニール袋がずらっと並べられていた。

 なんだかんだとドタバタしつつ、1日目終了。


○療養2日目(発症6日目)
 朝6時50分にLAVITAの予告放送が入る。毎日、朝7時と夕方16時に健康状態の報告が義務付けられているのだ。体調はたまに咳が出る程度で検温等にも異常はない。

 朝食の配給は8時。昼とも夜とも違う業者っぽい見た目の朝食は『焼き鯖弁当』、うわ2連続でサバきた。
 朝は昼夜と比べると食事を取りに来ている人が少ない、気がする。水やお茶だけを持って帰る人も。おそらく療養者の6~7割が29歳以下の若い世代、40歳以上は1割いるかどうかな気がする。あれ?50歳以上優先って話どこ行った?
 たいていは1人だが、夫婦らしき男女二人組や小さな子供連れもちらほら。

 朝10時半前後、廊下が何度かざわつく。この時間は療養者が室外に出られないので、入所か退所だろうなという気が。

 昼食は『みそカツ弁当』夕食は『スパイシータンドリーチキン弁当』。ガッツリ系が続くのは若い療養者が多いからか。贅沢は言えないが、生野菜がほぼないのが寂しい。
 去年家族がアパ系列で療養した友人から「アパは火曜昼に必ずアパカレーが出る」「少しだがサラダとデザートがついていたらしい」と教えてもらう。いいなーカレー、いいなーサラダとデザート。
 施設によってお弁当の納入業者が違うんだな、都内だけで宿泊療養者が数千人いるから当たり前か、などと思う。
 20時頃、廊下でドタバタする音と男性の声が聞こえた。また、22時台に何度か女性の甲高い声も。なんだろうな~と思いつつ湯船に張ったお湯を排水…してたら、なんとユニットバス内全体が浸水。ひょっとして、あちこちの部屋の騒ぎはこれか…?
 しばらくしたら水が引いたので、事務局に頼んで雑巾がわりのタオルを事務室前に置いてもらい、取りに行くことに。念のため、翌日以降は湯船にお湯を張るのをやめた。


○療養3日目(発症7日目)
 特段代わり映えのしない日、だが。初めて朝食にパンが出た。サンドイッチとマフィン。わーいやったー。

 ホテルの照明が暗めなので、明るい日中は窓辺で読書、夕方以降はテレビを見たりブログを書いたりネットで動画を見たりという過ごし方に。引きこもりがまったく苦にならない超インドア体質でよかった。ただ、幸運にも自分にはかなり広めの部屋が割り振られたが、これが11~12㎡の狭小ビジネスホテルだと、特に体が大きな人は気詰まりかもなと思う。
 部屋の乾燥対策を兼ねて日中に洗濯物を部屋干ししているが、乾くのが早い。パリッパリになる。洗濯洗剤、自分は海外旅行用に取ってあった小分けのを持ってきたが、なければ事務局で用意してもらえる。

 昼食は『デミハンバーグ弁当』、夕食は『鱈のしば漬けタルタルソース弁当』。目先を変えてくれているのだろうが、副菜が毎回ほぼ一緒なのもあってあまり変わった感じがしない。贅沢は言えないけれども。


○療養4日目(発症8日目)
 この日も朝10時台に廊下がざわついていた。そして、大きな道路が近いからだろうが、窓の外で救急車の音が時々聞こえる。でも基本的にはとても静かだ。
 水分をたくさん取ってほしいと看護師さんに言われたのもあり、配布のペットボトル緑茶・水を飲むのに加え、持ってきたコーヒーや紅茶を日に何度か入れていた。家にあった様々な種類のインスタントやティーバッグをありったけ、牛乳と一緒に詰めてきてよかった。

 朝食は『焼き鮭弁当』昼食は『チンジャオロース弁当』夕食は『塩焼き肉弁当』。
 夜が韓国風でキムチもついていたのが、醤油味系のおかずが多い日々のお弁当の中で新鮮だった。


○療養5日目(発症9日目)
 朝夕の測定値はまったく問題なし。この分なら予定通り明後日に退所可能かな~と思いつつ、説明書の退所についての記述がかなり曖昧なので昨年家族が宿泊療養した友人にその辺を聞いてみる。
 昨年は退所前日夕方に「荷物の準備をしておくように」と予告があったらしい。そして退所は午前中。
 と、いうことは明日の夕方に予告があるかもしれない。暇なのもあり、使用頻度が低いものの片付けをし始めることに。
 14時頃、廊下から日本語ではなさそうな女性数人の話し声が聞こえた。ドアスコープから覗くと全身防護服の人達が掃除道具らしきものを持って歩いている。我々の生活を支えてくれる人達、ありがたい。

 これだけまとまった読書時間が取れる機会もそうないだろう、と『絡新婦の理(京極夏彦著)』を持ってきて二十年ぶりに読み返していたのだが。読めるのは日差しが明るい時間帯のみだったのに、5日目の途中で読みきってしまった。しまった、なにかもう1冊持ってくればよかった。

 朝食はミニサンドイッチと惣菜パンの詰め合わせ。ミニゼリーもついている。2度目のパン食、ありがたい。

 昼食は初の選択制、中華弁当と洋風弁当の2種が置いてあった。洋風を選択したところ、ミックスフライやオムレツなど様々なおかずが。昨日までの仕出し業者とは違う業者のようだ。なお、夕食の『牛ハンバーグトマトソース弁当』は前日までと同じ業者だった。


○療養6日目(発症10日目)
 この日も朝夕の測定値は特に問題なし。時おり思い出したように咳が出るが。まあ風邪だって咳だけ残るものね特に自分は気管支弱いし、そんな風に思いつついつも通りだらだら過ごす。
 ふと、「療養は明日までって聞いたけど、それは明日出られるってことなのか、それとも明日の24時まで療養ってことなのか」という根本的な疑問が頭をよぎる。ええと、発熱当日を1日目と数えるなら今日が10日目、ゼロ日目と数えるなら9日目、どっちだ?
 てっきり明日出られるんだと思い込んでたよ!うわー早く退所連絡くださいー、内心めちゃくちゃ焦り始める。

 18時頃、待ちに待っていた電話が。
「明日の朝9時半以降順次電話がかかってきますので、9時半までにすべての準備を終えてください」ああよかった。不織布の枕カバー・シーツ・掛け布団カバーははずして退所時にゴミ箱に捨てること、パルスオキシメーターやペンは所定の位置に返却すること、などの説明を受ける。

 朝食は鯖の味噌弁当、昼食はメンチカツ弁当、夕食は鯖の胡麻醤油焼き弁当、1日にサバが2回。夕食は初日と副菜含めてまったく同じメニューなので、丸1週間は経ってないけど1周したのかな?


○療養7日目(発症11日目)
 宿泊療養最後の朝。元々朝が早い仕事なので目が覚めるのも早く、この日も6時前から起きて身繕いと部屋の片付け、使い終わったものをどんどんしまっていく。
 朝7時に最後のLAVITA入力。体温計を荷物にしまって、処分品以外は持ってきたタオル1枚だけが洗面所に残る状態に。
…と、ここでまさかのハプニング。ビロウな話だがトイレットペーパーが切れかける。普通のホテルでチェックアウト寸前ならロビー階などのお手洗いを借りればいいだろうが、療養者は食事の配給場所と差し入れ&依頼品の受取場所にしか行くことができない、しかも決められた時間内のみ。
 退所は朝9時半以降順次なので、いつになるかはわからない。なので、最後の最後に申し訳ないが事務局に用意をお願いすることに。あと2時間半かそこらなのにすみません。

 宿泊療養最後の朝食は惣菜パンのセット。ミニゼリーもついてるし、久々に野菜ジュースの配布もあった。嬉しい。
 さっさと食べて歯を磨き、寝具以外のゴミをすべて配給場所のゴミ捨て場に持っていく。寝具は最後に出口で捨てられるとのことだが他のゴミはわからない、なのでゴミ捨てが可能な8時台に捨てておいた方が無難だろう。

 9時25分頃に電話が来て、退所可能になったので1階に降りるよう告げられる。
 寝具を詰めたゴミ袋と荷物、貸与品を持って1階ロビーへ。まず寝具と普通のゴミをそれぞれの捨て場に分けて捨てる。
 退所の列に並び、1人1人インターフォン越しにスタッフから宿泊療養証明書申請についての説明などを受け、貸与品を所定の位置に戻して完了。玄関で再度名前を確認し(脱走防止?)そして屋外へ。入口に立っていた警備員さんが最寄り駅への道を教えてくれた。…外だ。

 外は朝9時台にも関わらず、すでに暑さと湿気でむわっとしていた。24時間空調が効いた窓が開かない部屋にずっといたので、その空気すら懐かしい。発症日から数えれば10日、車に乗る時以外ずっと外に出ていなかった。
 歩いて駅に移動するうちに、宿泊療養のことが遠く儚い夢の中のように思えてきた。目に映る日常の光景と情報量が少ない今までの1週間とはあまりにもかけ離れすぎていたから。けれど、どちらも現実なのだ。

 まっすぐ帰宅して持っていった衣類やタオル類をすべて洗濯乾燥機(※除菌モード)にかけ、宿泊療養終了。

 発症から療養期間終了まで、自治体(※主に東京都)や保健所、病院、その他関わった方全員に本当によくしてもらった。皆さん丁寧で優しかった。
 願わくば、あの方々みんなが報われますように。そう心から祈りつつ、筆を置きたいと思う。少しだけでもここまで読んでくださった方の参考になりますように。